せーのっ、

ロンググッドバイ✋

目の前の赤ちゃんにすぐ笑われる

電車に乗っていると、赤ちゃんをたまに見かけますが、非常に面白い存在なのでついついチラ見してしまいます(気持ち悪い)

 

彼らは高度に訓練された慈悲深き存在なので、目が合うと僕にも笑ってくれる場合が多く、非常に良いです(訳注: 風貌のお陰か普段から割と好かれることが多い)

 

(与太話)

 

The Rust Programming LanguageというRustのチュートリアル的なやつを、勉強の合間にリフレッシュ的位置付けでやっていますが、ことプログラミング言語となると特に日本語訳版よりも英語版の方がわかりやすいなと感じます。(ただ訳語間での違いの他に、そもそもの文章の版が異なるので正確な比較は出来てない)(論理的でないことは主張しないべきでは)(その通り)

 

歴史研究と言語の勉強では使う脳が全然違うので良いかなと思ってましたが、どちらも異質な論理体系・論理構造の理解と自分なりの再構成という点では実はあまり変わらない気もしています。

 

閑話休題

 

世の中の10代後半から20代前半の女性の風貌の系統が5パターンくらいしか無いのではと感じる時期があり、ずっと同じCMを見せられ続けているような感覚になります。

 

おやすみなさい。

テスト終えあとは卒論残すのみ

今日で授業とテストはすべて終わりました。

 

卒業出来るといいなと思っています。

 

あとは卒論というモンスターを倒すのみです。

 

卒業出来るといいなと思っています。(卒業出来るといいなと思っています。)(再帰的な感覚)

 

 

今日は評価戦略と遅延評価について気になり行き帰りの電車で調べていました。

遅延評価自体はおそらく既に利用しているのですが、単語と感覚が結びつかないというか、上手く抽象化しきれていない感じがしています。

なんとなく気になったことを続けて調べていたらいつの間にか何故か関数型プログラミングの話になっていて怖い気持ちになりました。[最強記事](https://qiita.com/hiruberuto/items/26a813ab2b188ca39019)

 

C++からは可愛い感じがしますが、Lispからも(Lispは関数型なのか)似たような雰囲気を感じるので春に学ぼうかなと思っています(僕はどこに行きたいのか、何になりたいのか)(しかし楽しいのでやめられない)

店頭ポップ

今日渋谷のあおい書店に行ったら、漫画コーナーで平積みされている漫画の中に、出版社側が作成している(と思われる)公式ポップのあるものがいくつかありました。

その中で僕が初めて見たのは厚紙ポップの裏に簡単なボタン電池で駆動するライトを仕込んであり、表から見ると厚紙に印刷された登場人物の目の部分がピカピカ点滅するというポップです。

 

書店は基本的に店内が非常に明るく、また漫画コーナーの平積みは色彩やデザインの点から目を引くものが多いことから、

ポップを点滅させることの効果を最大限に引き出せていたかと言われると微妙でしたが、

(ヴィレッジヴァンガードや代官山蔦屋書店といった特徴的な書店ではなく)旧来の書店という、局所的にローテクで運営されている場所に、簡単な仕掛けではあるものの、新しいテクノロジーを持ち込んで相対的有利な状態を作り出す、という発想自体には非常に納得させられました。

 

今日は他にも気付きあったはずなのに色んな人と話してるうちに忘れてしまったので、日頃の思考の種の運用に関しては少し反省です。おやすみなさい。

住みたい街

先日HOME'Sから「買って住みたい街ランキング」が発表されてネット上だけでなく家族からもその話が出てきたので、今すぐに引越しを考えている訳ではない人にとっても「どこに住むか」というのは常に気になる話題なのだなと感じました。

SUUMOのやっている「住みたい街ランキング」では恵比寿や吉祥寺、自由が丘などが強い印象でしたが、今回の「買って住みたい街ランキング」では一位が船橋で二位が目黒(恵比寿のすぐ隣)と、街に対して求める要素が

テーマパーク性→価格・機能性

に変わっていると感じました。

 

こうした話題に関して今まではどちらかというと「住みたい街ランキング」側の評価軸で楽しんでいましたが、就職活動というタイミングにおいては「買って住みたい街ランキング」側に自分の興味も無意識に傾いていることがなんともおかしく感じられました。

というのも、僕は現在実家から大学へ通っていますが、ずっとなるべく早く実家を出て一人暮らししたいなと考えているからです。

いくつか理由はあって、

家計を完全に分離させて経済的自立するのがどういうことなのかちゃんと理解したい、

誰にも邪魔されずに考え事や読書を行える場所が欲しい(僕はリビングという空間が好きなのですが、両親がお喋りなのであまりリビングでは集中できません。笑)、

自分の趣味で部屋を管理したい(小さい頃秘密基地を作って遊んでいたのと全く同じ動機です)、などです。

 

就職先を考えるにあたって勤務地がどうなるかというのは多くの学生にとって大きな要素になってくるのでしょうし、ここに入社することになったらどこに住もうかしらなんて思いを巡らせるのも中々楽しいですよね。(取らぬ狸のなんとやらですが、、)

地方に行ってみるのも海外に行ってみるのも良い経験になるのかなとは普段から思っていますが、いざ企業側からのアンケートで勤務希望地を提出しなければいけないとなると、原因不明の不安に駆られて「東京のみ希望」みたいな選択肢を選んでしまいそうになります。

この理由としては、しっかり自分の中で日本の各都市の状態を比較検討しきれていないことがあると思っていて、

例えば東京に魅力を感じるものの1つにファッションがありますが、

これは流行りの服装が手に入りやすいということと同時に、その服装の文脈を理解する人がいて、彼らと価値観を共有しているという感覚そのものがファッションの魅力と言っても過言ではないと思っているので、

どんなにamazonやzozotownが地方へのサービス網をより強固なものにしていこうが東京のある種社交場のような機能という面での優位性は脅かされないと思っています。

 

ただ、都市の評価軸をより洗練させるという観点からは地方に住んでみるのは悪いことではないと思っているので、やはり「どこでも勤務可能」にすべきなのだろうなと再認識した今日でした。おやすみなさい。

量より質

こんなことを感じてしまうにはスキル・知見からしても早すぎるとは思うのですが、最近いわゆるSNS疲れになり、何かに対する他人のリアクションに心底うんざりするようになってしまいました。

 

例えば去年の夏や秋と比べてTwitterの利用を減らしたことや、NewsPicks→日経電子版という利用するニュースアプリの重心の移動にそれが現れています。

基本的には好奇心の赴くままに、自分の知っている領域に隣接する未知領域を知りたいなと思っているので、そこに未知領域があるという朧げな像を掴むために意識的に他人のコメントを追ってきました。

これはそもそも僕の知っている領域が世の中のあらゆる情報の領域や、尊敬する人の持つ知識の領域に比べてかなり小さいことを痛切し、少しずつ離散的に知っている領域を増やしていくことで、最終的にスティーブ・ジョブズがかつてスピーチしたように"connecting the dots"していきたい

という意図があってそうしていたのですが、

TwitterNewsPicksのコメントを全部追ってると個人で処理しきるには点が多すぎるし、こんなことをしていては点と呼べるほどの面積すら持たないなと痛感しています。

そうしたことから滲み出てきた敗北感みたいなものを、他人のコメントへの嫌悪感として変換しているのだと思います(笑)フロイト防衛機制で言うところの合理化・逃避でしょうか(笑)

 

なのでしばらくはアウトプットを意識しつつインプット対象とする情報の量を減らしてみようかなと思っています。そろそろ英語を本気でやらないとまずいので、良い機会かもしれませんね。

どうせまた同じところに戻ってくる予感はしているので、あまり考えすぎないようにします。おやすみなさい。